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大阪地方裁判所 平成2年(行ウ)41号 判決

原告

尾畑育江

右訴訟代理人弁護士

藪下豊久

被告

北大阪労働基準監督署長佐々木敏雄

右指定代理人

源孝治

山崎徹

宮林利正

坂野美千子

山田勇

榎本淑轄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し平成元年一月二四日付けでなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の処分を取消す。

第二事案の概要

一  争いのない事実(〈証拠略〉)

1  尾畑敏雄の死亡等

尾畑敏雄(昭和一六年八月六日生)は、同三五年二月一五日、工業用ゴム製品の卸売販売を業とする西部ゴム株式会社(以下、訴外会社という)に雇用され、主として事務系の業務に従事し、同六一年一一月から滋賀営業所、同六三年五月二一日から大東営業所(〈住所略〉)の各所長として稼働していたところ、同年九月一六日午後二時一〇分ころ、同営業所倉庫内で商品のホースを切断し梱包のため巻き戻す作業をしていた際、頭痛を訴え同営業所内で暫時休養していたが意識不明となったため、救急車で聖友病院に搬入され治療を受けたが、同月二一日午後七時五六分、脳内出血(以下、本件疾病という)により死亡した。

2  労災給付請求

原告(敏雄の妻)は、同年一〇月一三日、守口労働基準監督署長に対し労働者災害補償保険法一六条の二、一七条により遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたところ、同署長は、平成元年一月二四日、敏雄の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとの理由で各不支給処分をした(同日通知。以下、本件処分という)。

原告は同年二月一七日大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、同審査官は同年一〇月二五日右請求を棄却した。そこで、原告は同二年二月二日労働保険審査会に再審査請求を行い、三か月を経過したが裁決はない。

3  所管庁の変更

本件の所管庁は、平成元年三月三一日付労働省令第八号により、北大阪労働基準監督署に変更された。

二  争点

敏雄の本件疾病の発症は業務に起因するか(労災法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条)。

(原告)

1(一) 労基法七九条、八〇条にいう「業務上死亡した場合」とは(以下、疾病による死亡に限る)、当該労働者の死亡原因たる疾病と業務との間に相当因果関係が認められる場合をいうが、死亡に至る原因として他に共働原因がある場合においては、業務が相対的に有力な原因であれば、最も有力な原因でなくても、相当因果関係は肯定される。業務に起因しない基礎疾病が増悪して死亡した場合には、業務が基礎疾病を自然経過を超えて増悪させ死亡の時期を早めたと認められれば、業務は相対的に有力な原因である。

(二) 本件疾病は多くの場合素因ないし基礎疾病が増悪し発症に至るが、業務起因生の判断は、発症当日ないし直前数日間の業務上の異常な過重負荷に限らず、発症前の相当長期にわたる業務上の精神的、肉体的負荷を考慮してなされるべきである。そして、業務が自然経過を超えて素因ないし基礎疾病を増悪させる性質のものであれば、業務が本件疾病発症の相対的に有力な原因であると推認するべきであり、医学的な立証は必ずしも必要ではない。

2(一) 敏雄には高血圧を含む何らかの素因ないし基礎疾病があり、その症状が、後記の業務上の負荷により、自然経過を超えて増悪し、本件疾病を招いたと考えられる(脳動静脈奇形の破綻とは断定できない)。

(二) 労働の場における種々のストレスは、血圧の上昇、血管硬化物質の分泌など肉体的、精神的に不健康な状態を生じさせ、脳内出血の素因ないし基礎疾病を増悪させるものであり、この関係は、脳動静脈奇形においても同様である。

(三) 本件疾病の業務起因性の判断において、業務に起因する高血圧やストレスは発症の直後の原因である必要はなく、誘因であれば足りるというべきである。

3 敏雄は、次のような業務に従事したため、極度の肉体的疲労及び過大な精神的、肉体的ストレスが蓄積していた。

(一) 敏雄は、昭和六一年一一月二一日、滋賀営業所の初代所長に就任し、開設準備に従事したが、その業務内容は販路の開拓、社員の募集、教育等多岐にわたり、繁忙であった。敏雄は、始業時間である午前八時三〇分に出勤するため、午前六時には東大阪市の自宅を出、帰宅は残業のため毎日午後一〇時を過ぎる日が続いた。更に、同六二年秋、大口顧客が他の顧客との取引を中止するよう求め、同六三年四月に最終判断を迫っていたため、敏雄の精神的重圧は大きく、それは同年五月の転勤まで続いた。

(二) 大東営業所は従業員数が少なかったため、所長であった敏雄の業務量は殊更多く、毎日残業を余儀なくされた。特に本件疾病発症当時は伝票処理の担当者が病気で欠勤することが多く、敏雄は昼間は営業全般の仕事を行い、夕方から午後九時ころまで伝票処理をし、それを過ぎると自宅に持ち帰り、深夜まで稼働する日が続き、発症一週間前からは連日、自宅において伝票整理などで徹夜をし、出勤する状況が続き、疲労は蓄積していった。敏雄は営業が専門で事務処理は不得意であったため、右業務による精神的、肉体的負担は大きかった。

(三) 敏雄は責任感が強く真面目で神経が細かく、折しも顧客のブリジストン奈良販売との間で発生したトラブルにより多大の精神的圧迫を受け、発症当日は、本社常務と共に謝罪に赴く日であったため、その緊張は極度に達していた。

(四) 労働時間は、滋賀営業所では一日一〇時間ないし一二時間で、通勤時間四時間余を加えると一六時間、大東営業所では自宅での伝票整理を含め一日一五時間に上っていた。

(五) 以上のとおり、敏雄は、本件疾病発症当時、極度の肉体的疲労及び精神的、肉体的ストレスに曝されていた。

(被告)

1(一) 労基法上、労働者の死亡とその業務との間に相当因果関係が認められるのは、業務自体に死亡原因たる疾病を発症させる危険(有害因子)が内在し、死亡が右危険の発露と目される場合であり、業務に起因しない基礎疾病等の他の要因が存在する場合には、業務上の事由が基礎疾病等の他の要因と比較して相対的に有力に作用したと認められなければならず、そのためには、発症前、業務による明らかな過重負荷が存在し、右過重負荷により基礎疾病が自然経過を越えて増悪したと医学的に認められることが必要である。

(二) 本件疾病は、個人の素因ないし高血圧等の基礎疾病による血管病変が、加齢や一般生活における諸種の要因によって、自然経過を経て増悪し発症する例が殆どであり、業務が右血管病変形成の直接原因となることはない。したがって、本件疾病による死亡と業務との間に相当因果関係が認められるのは、業務によって惹起された急激な血圧変動や血管収縮によって、既往の血管病変が自然経過を超えて著しく増悪し発症したと医学的に明らかに認めることができる場合であり、右発症に影響を与える業務上の要因は発症前一週間以内の過重負荷であり、一週間以前の負荷はそれのみでは発症への影響を認めることはできない。

2(一) 通常の業務を超えた過重な業務による精神的・肉体的負荷が血管病変を自然経過を超えて増悪させることは医学上も肯定され得るが、通常の業務がもたらす負荷の影響は自然経過の範囲内に止まるものである。

(二) 脳血管疾患と業務による継続的な精神的ストレスの関連については、個体差が著しいことから、医学知見は確立していない。

3(一) 聖友病院の入院診療録によると、敏雄は先天的な脳動静脈奇形を有しており、本件疾病は右奇形の破綻により発生したものである。

(二) 脳動静脈奇形は特殊な状況になくても破綻する例が多く、医学上、精神的、肉体的に過重な業務に起因する一過性の血圧変動や高血圧が破綻の直接原因となることは明らかにされていない。

(三) 脳動静脈奇形は血管構造が脆弱であるため、自然の血流の血管壁に対する圧力によって増大し、破綻を起こす準備状態に至ると考えられている。したがって、ストレス等の血圧上昇因子が破綻促進の影響を与える可能性を否定できないが、通常の業務負荷が自然経過を超えて破綻を早めることはなく、業務上の過重負荷があった場合に初めて自然経過を超えて破綻が促進される可能性がある。

4(一) 敏雄は訴外会社入社以来二八年の経験を有し、業務に熟達しており、営業所長も昭和六一年以降務めていた。同人の業務内容や勤務状況は過重負荷を与えるものではなく(原告主張のような長時間労働はない)、死亡直前に特段の精神的、肉体的負荷も受けていない。原告の主張する業務上のトラブルは通常の商取引の範囲に含まれるものであり、敏雄に過大な精神的ストレスをもたらすようなものではなかった。

(二) したがって、敏雄の業務は基礎疾病である脳動静脈奇形を自然経過を超えて増悪させるものではないから、本件疾病による死亡に業務起因性はない。

第三争点に対する判断

一  敏雄における本件疾病の発症原因

1  症状の経過(〈証拠略〉)

敏雄は、発症当日午後二時一〇分ころ、頭痛を訴え、営業所内で安臥休養していたが、数分後昏睡状態になり、救急車で聖友病院に収容されたが、嘔吐、意識消失(午後三時三〇分における意識レベルⅢ―一〇〇)、呼吸不全の症状を呈していた。同病院の堀部邦夫医師は、臨床所見(左不全麻痺の疑いもあった)及び頭部CT検査所見により、脳室内穿破を伴う脳内出血(出血場所は右側後頭葉部)と診断し、午後九時、両側脳室にドレナージによる吸引治療を施した。しかし、翌一七日には、出血が拡大して脳死に近い状態に至り、疼痛刺激には反応するものの瞳孔拡大が認められ回復困難と判断された。その後、同月二一日午後症状が悪化し、同日午後七時五六分死亡した。

2  脳内出血の病理等(〈証拠・人証略〉)

(一) 非外傷性脳出血は、高血圧性脳内出血、脳動脈瘤破裂による脳内出血、脳動静脈奇形破綻による脳内出血、その他に大別されるが、最も頻度が高いのは高血圧性脳内出血(基底核付近で発症する)で、全体の約七〇パーセントに上る。

(二) 脳動脈瘤

(1) 脳動脈瘤(脳動脈分岐部に形成される瘤状部分の動脈壁)には、ベリー動脈瘤(先天性で嚢状または木の実状)、動脈硬化性動脈瘤(紡垂状)、動脈炎性動脈瘤等があり、先天的に中膜欠損があるため脆弱な血管が、血行力学的因子の関与、動脈硬化、外傷により拡大し、突発的に破裂してクモ膜下出血などを起す。通常頭蓋底部のウイリス動脈輪(大脳動脈輪)近傍に発生し易い。破裂に至る原因には脳血管自身の加齢現象(動脈硬化)と血圧の関与があるとされている。

(2) 脳動脈瘤が破裂した場合、通常クモ膜下出血となり、軽い場合は軽度の髄膜刺激症状として、非常に強い頭痛、吐き気、嘔吐等をきたすのみで意識を失うことはないが、出血多量の場合は意識障害をきたして死亡する。破裂の部位によっては、脳実質内に出血し(全症例の約五分の一)、非常に大きな血腫を形成する。発症例の約半数においては出血の何日か前から頭痛を主とした前駆症状がみられる。

(3) 好発年令は四〇ないし五〇歳代で、働き盛りの者が突発的に強い頭痛や嘔吐を生じた場合は、脳動脈瘤破裂の可能性が高い。

(三) 脳動静脈奇形

(1) 脳動静脈奇形(以下、AVMという)は、胎生期において動静脈の分離が正常でなかったため発生する先天性異常であり、正常な脳循環では動脈―毛血管―静脈の順に血液が流れるが、AVMでは動脈血が毛血管を経ず直接静脈系に移行する。AVMは、全人口の〇・一四パーセントに発生し、脳室内血管奇形としては先天性嚢状動脈瘤に次いで多く、相対的に男子の発生率が高い。AVMの規模は大小様々であり、発生部位は、テント(天幕)上約九〇パーセント、テント下約一〇パーセントであり、中大動脈領域に多く、ほぼ一側大脳半球に偏在している。小規模の奇形は脳の深部(白質内)に存在する。

(2) AVMの存在を示す一致した臨床症状はなく、AVM保有者の約半数、特に小規模AVM保有者は出血を起すまで症状を示さず、剖検上偶然発見されることもある。大規模AVMの大部分は出血、痙攣、局所神経症状(反復する片頭痛様の頭痛発作、片麻痺等)等何らかの症状を呈す。最も代表的な症状は脳出血由来の髄膜刺激症状で全症例の四〇ないし六〇パーセントにみられ、次いで痙攣発作も三五ないし五〇パーセントにみられる。

(3) AVMは、構造上末梢血管抵抗の強い毛血管が存在しないので、動脈系と静脈系の間の圧の調整ができず、静脈系に過大な圧が加わる(流出静脈には動脈血が流れ拍動がある)こと、血管塊(ナイダス)内に存在する多数の大きな薄い血管壁は弾性板や筋層の発達が乏しいこと、循環血液量が多く血管内圧が高いこと等のため、種々の要因により変動しつつ常に血管壁に対して圧力を加える血圧、血流の影響により、徐々に規模が増大し、破綻、出血に至る。

出血は、AVMが脳実質内に埋まっている部位で生じ、動脈瘤破裂による出血の多くがクモ膜下腔に生ずるのと異なり、クモ膜下腔や脳室に穿破するのは二次的である。ただし、AVMが脳表面に存在する場合は、脳表面の血管からクモ膜下腔へと出血することがある。出血の容易さは規模により決まるのではないが、血行力学的抵抗が高いため、一般的に小規模AVMの方が出血し易いといわれている。その出血は全て白質内に起こる。

(4) AVM破綻による脳出血はいずれの年代にも発症するが、好発年令は二〇歳代から四〇歳代で、三〇歳代がもっとも多い。AVM破綻の発生頻度は、動脈瘤に比べ約一〇分の一にすぎないが、二〇歳台までの若年者層では同等ないし約半数を占める。AVM保有者は年間二ないし三パーセントのリスクで三〇歳までに半数以上が出血を起し、保有者のほぼ半数はついには頭蓋内出血を起し、その死亡率は一〇パーセント前後である(初回出血による死亡率は一〇パーセント)。

(5) AVM破綻による出血は静脈の破裂によって起こることが多く、嚢状動脈瘤破裂に比べると出血の程度は軽く、症状は徐々に出現し、予後も良好なものが多い。発症年令やAVMの規模と予後の程度との間に相関関係はないが、部位については頭頂、後頭蓋窩のものは死亡率が高い。

(6) AVMの確定診断には脳血管撮影が必須である。

3  医師の所見(〈証拠・人証略〉)

(一) 堀部医師は、血管造影していないので確定はできないが、出血の程度からAVMの破綻による可能性が最も高いと診断している。

(二) 白井嘉門医師は、敏雄に定期検診における異常がなく、その他の受診、受療歴がないこと、同人の労働内容に特に脳内血圧を高める要因が認められないことから、先天的なAVMの破綻であると判断している。

(三) 小林敬司医師(職業病相談医)は、敏雄の健康診断結果に高血圧症歴はないから、高血圧性脳出血とする根拠は薄く、動静脈奇形(動静脈瘤やAVM等の血管腫)の突発的な破綻による脳内出血の可能性が最も高く、敏雄は頭痛を訴えてから比較的短時間に意識を消失しているから先天的な脳動脈瘤の破綻により脳実質内、脳深部への出血を生じ脳質穿破を来したものと考えられ、静脈性出血の場合は、敏雄のような急激な転帰をとる症例は少ないと述べている。

(四) 米田正太郎医師は、敏雄は比較的若く、血圧値は正常、肝硬変、白血病などの血液疾患、膠原病等の疾病を窺わせる事情もないこと(〈証拠略〉によると、敏雄に特段の既往症はなく、昭和五七年五月から同六三年三月までの定期健康診断においてもなんら異常所見がなく、最終検査時の血圧は、最大値一二九―最小値七八であり、同六二年一〇月から同六三年八月まで受診治療歴もない)、CTスキャン像にみられる出血場所などから、AVMの可能性が一番高いと判断している。

4  以上を総合すると、敏雄の本件疾病は先天的に有したAVM(以下、本件基礎疾病という)が破綻して発症したものと認めるのが相当である。

二  本件疾病の業務起因性

1  労基法上の「業務上死亡した場合」の意義

労基法上の「業務上死亡した」場合とは、業務と死亡原因たる疾病の発症原因との間及びその発症原因と死亡原因たる疾病との間に相当因果関係があること(業務起因性)、換言すれば、業務が発症原因の中で相対的に有力な原因と認められることをいう。業務に起因しない基礎疾病が増悪して死亡に至った場合、業務が発症原因の中で相対的に有力であるというためには、当該疾病が業務により自然経過を超えて著しく増悪したと認められることを要する。

基礎疾病が業務により自然経過を超えて著しく増悪したか否かの判断は、基礎疾病の病態、程度、業務内容、就労状況等を総合してなされるべきであり、発症当日または直前一週間の業務上の過重負荷(自然経過を超えた著しい増悪を肯定する有力な要素ではある)の有無のみによって決すべきではない。

2  本件基礎疾病の破綻原因

(一) (証拠・人証略)によると、本件基礎疾病の破綻の原因を明らかにした医学研究はないが、奇形部分の血管自体が脆弱で非常に破綻し易く安静状態でも破綻すること、それ故、自然経過によって破綻に至ったと目される症例が多く、破綻と高血圧との間に有意の相関関係は認められていないこと、本件基礎疾病を有する患者に対し一時的に血圧上昇を伴う治療方法を試みても、出血を起こした患者はいなかったことが認められる。

(二) 右認定及び(証拠略)(米田医師の意見書)、弁論の全趣旨によると、本件基礎疾病は、一過性の血圧上昇や高血圧によって直ちに破綻するものではなく、種々の要因により変動する血圧、血流の影響により増大し破綻に至るという過程を辿るのであり、その過程において血圧上昇因子が増大を促進し発症を早める影響を与える可能性を否定することはできないと認められる。

(三) したがって、敏雄の従事した業務の内容、就労状況等を総合し、敏雄の業務に存在する血圧上昇因子(〈証拠略〉によると、急激あるいは持続的な精神的、肉体的なストレスが血圧を上昇させることは明らかである)が、本件基礎疾病を自然経過を超えて増悪させ、本件疾病の発症に至ったか否かを検討すべきである。

3  敏雄の業務と本件基礎疾病破綻の関係

(一) 敏雄の従事した業務

(1) 滋賀営業所時代(〈証拠・人証略〉、原告本人、弁論の全趣旨)

〈1〉 敏雄は、昭和六一年一一月二一日から同六三年五月一九日まで、初代営業所長として、業務を統括した。

〈2〉 基本的労働時間及び休日

平日 午前九時から午後五時三〇分(休憩正午から五〇分間)

土曜日 午後九時から午後三時(休憩は平日と同じ)

休日 日曜日、祝祭日

〈3〉 実労働時間及び通勤経路等

午前六時過ぎ自宅(東大阪市西堤本通り)を出て徒歩約七分で地下鉄高井田駅に至り、梅田でJR線に乗り換え、JR唐津駅から営業所までは自転車を使用し午前八時三〇分には出社していた(通勤時間約二時間)。通常午後八時頃まで就業し、帰宅は一〇時ころであったが、自宅で仕事をすることはなかった。

〈3〉 山久機械は、滋賀営業所の最大の顧客であったが(月間取引高約五〇〇万円)、同社は昭和六二年秋、中堅顧客である清水商会(同約五〇万円)との取引を中止するよう要求した。敏雄は再三の要求に対し、清水商会との取引を止めるように努力すると返答したものの、実際には中止できなかった。山久機械は、同六三年四月下旬ころ、三か月を期限として取引中止を実行するよう通告してきたが、敏雄は右期限到来までに大東営業所に転勤した。転勤に際し、敏雄は後任所長に右問題の引継をしなかったが、後任所長の問い合わせを受け相談にはのった。後任所長は、同年八月ころ、清水商会との取引を一旦中止することで問題を解決した(敏雄は関与していない)。

(2) 大東営業所時代(争いのない事実等1、〈証拠・人証略〉原告本人、弁論の全趣旨)

〈1〉 大東営業所は、大東、枚方、摂津、寝屋川、高槻、茨木、東大阪、奈良各市における営業活動を従業員六名(男子五名、女子一名)により行ない、訴外会社の中でも業務量が多かった。敏雄は、営業所長として、得意先との商談、電話の応対、受注、見積り、出荷手配、仕入先への発注伝票類のチェック及び付随する事務処理(日常の伝票類は営業担当者が作成するが、買掛金、売掛金の整理、請求書の作成は女子従業員と敏雄が担当)等業務の責任者として統括管理を行なっていた。

〈2〉 基本的労働時間及び休日

平日 午前九時から午後五時三〇分(休憩正午から五〇分間)

土曜日 午後九時から午後三時(休憩は平日と同じ)

休日 日曜日、祝祭日、土曜休日は月一ないし二回

〈3〉 労働内容

午前八時三〇分までに出社し、午前九時まで他の従業員と共に注文の電話の応対を行ない、午前九時から四名の男子従業員が受注した商品の配達準備(仕入先に対する発注を含む)をし、午前一〇時ころ配達に出て、正午ころに帰所するまで、女子事務員と共に事務所内で電話の応対、伝票整理等を行なっていた(配達準備にも携わる)。その後、昼食休憩し、男子従業員らが再度商品を準備して二時ころ配達に出、五時半から七時ころに帰所するまで午前と同様の業務に従事し、少なくとも午後七時ころまで稼働していた(以下、これらの業務を通常業務という)。

訴外会社では、買掛金、売掛金の締めを毎月二〇日とし、二七日ころ迄に請求書を作成しなければならなかったため、毎月二〇日ころから二七日ころまで、敏雄の業務は通常よりも忙しく、午後九時ころまで営業所で稼働していた。

〈4〉 自宅での就労

敏雄は、残業労働によっても処理できなかった伝票類を自宅に持ち帰り、夜間や休日に処理することがあった。

〈5〉 通勤経路

自宅から徒歩で地下鉄高井田駅に至り、地下鉄森之宮でJRに乗換え(京橋)、JR鴻池新田で下車し、営業所まで約二キロは自転車を使用した(通勤時間約一時間)。

〈6〉 死亡前一〇日間の就労状況

九月六日 午前 厚地鉄工訪問(販売のため) 午後 通常業務

七日 終日 通常業務

八日 終日 通常業務

九日 午前 通常業務 午後 在阪営業会議出席

一〇日 土曜 休日

一一日 日曜 休日

一二日 終日 通常業務

一三日 午前 厚地鉄工訪問 午後 東海ゴム会議出席

一四日 終日 通常業務

一五日 祝日 休日

〈7〉 発症当日の就労状況

午前七時ころ起床、朝食をとって午前七時三〇分ころ家を出て、午前八時三〇分ころ出社した。午前中は営業所内で通常業務を行なった。昼食は、営業所近くの食堂でとり、午後も引き続き伝票処理等通常業務を行なっていたが、午後二時ころ、電話によりホース購入の注文を受け、藤原邦茂係長と営業所倉庫内でクラレホースバンドSⅢ六五¢(二〇メートル・三二キログラム・管表面は螺旋状仕上げ)を一〇メートル程度二本に切断し、直径一メートル程度に巻き直していた際、頭痛を訴えた。なお、右切断、巻き直し作業は、いずれも床上作業でホースを持ち上げることは殆どない。

〈8〉 昭和六三年八月ころ、敏雄はかねてから取引のあったブリジストン奈良販売株式会社に新たな商品を販売することになり、納入価格についても合意した。しかし、発注がなかったことから、発症当日同社の社長に面談を申し込んでいた。その際、敏雄は右訪問の用件を伝えておらず、同社は取引上のトラブルとは思っていなかった。

(二)(1) 以上によると、敏雄の通常業務は、電話の応対や書類の作成、整理を中心とするものであり、それ自体は血圧上昇を伴う精神的、肉体的負荷を与えるものとは認められない。

(2) 原告は、敏雄は、滋賀営業所時代は長距離通勤、大東営業所時代は自宅就労による長時間労働等により、蓄積疲労等が生じたと主張する。

滋賀営業所時代は通勤時間を含めると一日およそ一六時間を就労のために費やしており、相応の疲労が生じたであろうことは推認できる。しかし、先に認定したように、敏雄は、当時の健康診断において何ら異常はなく、受診歴もないのであるから、疲労の程度が著しかったとは認められない。

大東営業所時代の自宅就労は、訴外会社の命によるものではないが、業務性を否定すべきではない(同営業所の業務量は多く、女子事務員は病身であり、訴外会社もこれを認識していた(〈証拠略〉)し、伝票の整理等は訴外会社の業務運営に必須であった)。そこで、その就労状況を検討するに、(証拠・人証略)、原告本人によると、訴外会社では当日の伝票は翌日本社に提出することになっていたところ、女子従業員が病身で事務処理量が少なかったため、敏雄は昭和六三年六月ころから書類を持ち帰って処理することがあったこと、特に請求書作成はその性質上単独で処理することを要したため毎月二〇日からの請求書作成時期には午前二時ころまでかかることもあったこと、敏雄の死亡時、自宅には段ボール箱(五〇センチメートル×三〇センチメートル×三〇センチメートル)三個程度の未処理の売上伝票類があったことが認められ、これらの事実によると敏雄の自宅就労は相当長時間にわたったとも考えられる。しかし、女子事務員は病弱とはいえ八割方は出勤していたのであり(〈証拠・人証略〉)、同人の病気による敏雄の業務量の増加の程度は不明であるし、発症当日は、請求書作成時期ではなく、他に特段繁忙であったと認めるに足りる証拠はない。原告本人は、発症二週間前から休日以外に夜も仕事をするようになり、発症二、三日前から殆ど徹夜状態であり、発症前日(休日)も午前八時頃から一六日午前三時まで食事時間以外は仕事をしていたと供述するが、発症前二週間は繁忙な時期ではなかったこと、多量の未処理伝票が残っていたことに照らし、直ちに採用することはできない。したがって、敏雄の自宅就労が過度の蓄積疲労を生じさせたと認めることはできない。

(3) 次に、原告主張の取引上のトラブルについて検討する。

先に認定したように、滋賀営業所のトラブルについては、敏雄は途中で転勤し最終的な判断はしていないこと、後任所長に特に引継ぎもしていないことによると、過大な精神的ストレスを与えるものとは認められず、大東営業所の出来事は特にトラブルという程のものではない。

(三) 以上によれば、敏雄の従事していた業務が本件基礎疾病を自然経過を超えて著しく増悪させたと認めることは困難である。

三  よって、本件処分は正当であり、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 黒津英明 裁判官 岩佐真寿美)

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